※『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』本編のネタバレを含みます。 ハチワレは、なぜ「みんなを助ける」ではなく、「島を守る」と言ったのでしょうか。 島民は現在の暮らししか知らない。 セイレーンは、失われた一人の側から島を見る。 ちいかわたちは、目の前の危機に反応する。 そして劇場の観客だけが、それぞれの事情を少しずつ見せられています。 しかし、観客には何もできない。 五丁目ラジオ第140回は、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観た二人が、かわいかった場面を振り返りながら、なぜか次第に倫理学と神話の沼へ入っていく「ぼんやり感想会」です。 今回話したこと ・ハチワレの「島を守る」という台詞への違和感 ・全体像を知る登場人物が一人もいない ・動ける者は知らず、知っている観客は動けない ・うさぎとハチワレの行動原理の違い ・三人の人魚と、欠けてしまった一人 ・三位一体、原罪、失楽園、セイレーン ・ギリシャ神話と日本の人魚伝説の混線 ・実態を知ってしまった私たちに、何ができるのか もっとも、最終的な結論はだいたい、「みんな無事に帰れてよかった」「ちいかわは可愛かった」です。
薪能、ガンダム、ヘーゲル、Studio One、そして『美味しんぼ』の同人誌。一見すると何の集まりなのかよく分からない話題が、今回は「自分の経験を、どう作品に変えていくのか」という一本の線でつながっていきます。 オープニング:薪能を見に行ったら、赤と白の獅子がモビルスーツに見えた 寒空の下で鑑賞した薪能の話からスタート。 狂言の親しみやすさに油断していると、能『石橋』に赤と白の獅子が登場。その姿から連想されたのは、伝統芸能の様式美ではなく、アムロとシャア、あるいはガンダムとガンキャノンでした。能を正しく理解しているかどうかはさておき、人は未知のものを見るとき、結局は自分の頭に入っているマンガやアニメや映画を勝手に字幕として貼りつけてしまう。薪能を見ていたはずが、いつの間にか脳内では一年戦争が始まっています。さらに話は、神社の境内に現れた現代的なカフェへの微妙な違和感、Studio Oneのメーターがどうにも見づらい問題へ。古いものと新しいものは、きれいに融合するとは限らない。ときには神社カフェになり、ときには能舞台にガンダムが降り立ちます。 薪能 能『石橋』 狂言 赤獅子 白獅子 ガンダム アムロとシャア 伝統芸能の見方 寒空の野外鑑賞 太郎冠者 ガンキャノン 神社カフェ 古さと新しさ 誤読 連想 Studio One 音声メーター あらいごうゼミ:ヘーゲル『美学講義』若者の情熱よ
今回は、唐突な改名宣言から始まり、文学フリマの売上報告を経て、ヘーゲル『美学講義』の「詩」へ突入する回です。 「シナモンロール松井」だの「ベイクドチーズケーキ☆TASAKA」だのと言っているうちに、気づけば建築、彫刻、絵画、音楽、詩という芸術の発展をたどり、最後は「歴史とは居抜き物件の連続ではないか」という、妙に使い勝手のよい結論にたどり着きます。 哲学の話ではあるのですが、入り口は文フリのTシャツ在庫と池袋演芸場です。 この落差がひどい。ひどいけれど、たぶんヘーゲルも油断していたところから精神は現れるのです。 オープニング オープニングは、いきなりの改名宣言から始まります。 その名も「シナモンロール松井」。ドラァグクイーンのリングネームなのか、町中華の新メニューなのか、よくわからない名前で番組が転がり出します。 続いて、文学フリマの報告へ。 『今日の士郎』関連の頒布は過去最高の30冊突破といううれしい結果に。一方で、Lサイズしか作らなかったTシャツが見事に売れ残るという、商売の神様が小声で「サイズ展開って知ってる?」と囁いてくるような展開もあります。 さらに収録後に向かう池袋演芸場の話、寄席の出囃子、YOASOBI『アイドル』を三味線でやったらどうなるか、という話題へ。 文フリ、Tシャツ、寄席、改名。どれも一見ばらばらですが、共通しているのは「名前をつける」「場に出す」「人に見ら
第136回と同日収録の続きです。 前回が「150円の風呂とリック・ドム」だったとすれば、今回はそこから一段深く潜って、鯨問題、メタル、PA、うなぎ、政治、文楽、そして正義の商売化まで行ってしまう回です。 話の始まりは、ライブ後の活動限界。 ビールを一口飲んで、ようやくエントリープラグが抜けた身体に電源が戻ってくる。そういう疲労感のなかで、なぜか唱えられる「ベントラ・ベントラ」。疲れている人間の話は、だいたい宇宙人を呼ぶところから始まるのかもしれません。 オープニング オープニングでは、ライブ後の虚脱感、活動限界、そして音をめぐる信頼の話へ。 ライブ後の一杯でようやく身体が戻ってくる感覚を、エヴァの内蔵電源みたいに語りながら、話はヘビーメタルと「耳利き」の問題に向かっていきます。 ポイントになるのは、日本が誇るPAエンジニア・内田直之さんの存在です。 ライブ中の即興的なダブミックス、音の飛ばし方、そしてスレイヤー『サウス・オブ・ヘブン』への評価。「あの人が言うなら聴いてみよう」と思わせる耳の信頼が、ここではかなり重要な話として出てきます。 情報が多すぎる時代に、結局頼りになるのは、検索順位でもおすすめ欄でもなく、「この人の耳なら信用できる」という身体感覚なのかもしれません。 スレイヤーの暴力的な音像が、実はものすごく精密に作られているという話は、浦和の中村屋の二段うなぎみたいなもので
年度末のざわざわした空気のなか、大阪・名古屋ツアー帰りの滞空時間を引きずったまま始まる第136回です。 世の中は3月31日というだけで妙に帳尻を合わせたがるわけですが、こちらはまだライブの余韻と、メール返信の間合いと、栃木の静かな宿の記憶のなかを漂っています。 大阪のフェス「六感音祭」では、トリプルファイヤー、踊ってばかりの国などが並ぶなか、トップバッターの銀シャリが漫才で会場をつかむという事件がありました。音楽フェスにおける漫才って、場違いなようでいて、むしろ場の空気を一番冷静に測っている感じがあるじゃないですか。そこで見えてくるのは、ライブの熱狂だけではなく、「人と人との反応の仕方」みたいな、案外やっかいな問題なんですよね。 オープニングの要旨 オープニングでは、年度末の落ち着かなさ、大阪・名古屋ツアーの余韻、大阪フェス「六感音祭」の話から、メール返信をめぐる感覚の違いへと話が広がっていきます。 「問題なければ返さない」「ノーリプライならOK」という態度は、ただの無精なのか、それとも現代の即レス圧から自分の時間を守るための小さな技術なのか。 さらに、栃木県塩谷町の自然休暇村にこもった話へ。1泊3,300円、入浴料150円。論文を読むための缶詰合宿のはずが、鞄にはリック・ドムのガンプラ。ネギ間とうどんを煮て、よくわからないWi-Fiのなかでモノアイを光らせる。 知的生産と現実逃避
オープニング 第135回の五丁目ラジオは、いきなり埼玉の車文化から始まります。 シャコタン、ハの字のタイヤ、夏場に履き潰されるスタッドレス。そして、なぜか見る「タイヤがパンクする夢」。普通ならそこで「疲れてるんじゃない?」で終わる話なんですが、五丁目ラジオはそこからなぜか文楽へ行くんですよね。道路とタイヤの摩擦から、人形浄瑠璃の浮遊感へ。地面をこすっていた話が、急に舞台の上でふわっと浮く。変な道筋なんだけど、聞いていると妙に筋が通ってくるのが怖いところです。 文楽の蝶が「バサバサ」と舞う。本能寺の変に不吉な気配を差し込む。人形なのに、むしろ人間より自由に動く。重力から解放された身体というか、足が地面に縛られていない感じがある。そこに伊藤せいこうさんの文楽案内の話も重なって、伝統芸能というより、かなり高度なフィクションの身体論みたいになっていきます。最新のガンダム作画と文楽が、同じ「浮遊感」の話として並ぶのも、この番組らしいところですね。 オープニング・キーワード 埼玉 車文化 深層心理 夢占い タイヤパンク 不安 文楽 初心者 人形浄瑠璃 魅力 黒子 役割 いとうせいこう 文楽 伝統芸能 鑑賞 蝶 予兆 本能寺の変 演出 あらいごうゼミ:ヘーゲルの『美学講義』第二章 音楽(三 音楽的な表現手段と内容との関係)【上妻ターン】 「あらいごうゼミ」では、ヘーゲルの『美学講義』を手がかりに
「バレンタインおめでとうございます」ではじまる第134回。コミケの既刊が山積みになるみたいな生々しい創作の現実から入って、バレンタインの妙な不穏さを経由して、『閃光のハサウェイ』の映像や音の手触りに行き、最後はヘーゲル美学まで届いてしまう。普通なら散らかりそうな話題が、全部「内面ってどう表れるのか」という一本の線でつながってるというわけです。はい。 オープニング 冒頭のバレンタインの話も、単なる季節ネタじゃないんです。手作りチョコの裏に毒物混入サスペンスを幻視するみたいな、日常をそのまま信じない視線があって、その違和感がそのまま『閃光のハサウェイ』批評につながっていく。とくにガンズの『Sweet Child O’ Mine』が鳴ったときの、あの妙な終わった感、カタルシスですね。あれを、ただの挿入歌じゃなくて、身体でくる感触として捉えてるのが面白いんです。一方でギギ・アンダルシアの人物造形にはかなり冷たくて、古典的すぎる男女像の雑さに違和感を突きつけている。このへん、結末のネタバレじゃなくて、作品の肌触りそのものを批評しているのが上手いんですよね。 オープニング・キーワード 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ ネタバレなし ギギ・アンダルシア 富野由悠季 ガンズ・アンド・ローゼズ 映画批評 バレンタインデー 手作りチョコ 西村京太郎サスペンス アニメ批評 コミケ 既刊 サブカルチャー
『五丁目ラジオ 第133回』のオープニングは、文学フリマ(文フリ)での自由時間に上妻が感じた「買い手としての心理」についてのトークから始まります。 魅力的なブースがいっぱいあって「見たい」と思うのに、女の子に「よかったらどうぞ」と声をかけられると、怖くて目を合わせられない……。 そんな「自分が物を見ている時に、売り手に見られるのが苦手」という実体験から、次回の出店ではブースに「のれん」を立てて、自分たちの顔を隠してみてはどうか?というアイデアを披露しています。 のれんの文字は『美味しんぼ』にちなんで「岡星」にするか、それとも「鯛ふじ」にするか? 書体や枚数にこだわる「岡星のれん問題」に触れつつ、最初は怖い店だった「寿司とも」もあれだしなぁ…、という理想のブース作りについて楽しく語っています。 毎度お馴染み、流浪の番組『今日の士郎』では、テレビ再放送なし、配信サイトでも欠番。幻のエピソード『美味しんぼ』第26話「食べない理由」を徹底解剖。 「私は食べない。スリルがないからだ」 美食の会に参加しておきながら、頑なに料理に口をつけないデパート社長・稲森。彼はなぜ「食べない」のか? 山岡士郎がその堅牢な城壁を崩すために持ち出したのは、伝説の中華スープ「ファッチューチョン(仏跳牆)」でした。 今回の配信では、単なるストーリー紹介にとどまらず、以下の「深読み」ポイントについて激論を交わしていま
『五丁目ラジオ 第132回』は、タイ料理屋さんで食べたものが、なんだか解らなかったが、「赤い鳥」のやつにしました。というお話からスタート。コンビニで見かけた赤いきつね緑のたぬき×『機動戦士 Gundam GQuuuuuuX』コラボキャンペーンの、そして「ガンプラ」の安定供給に関するトークへと展開。また、楽器の練習を「シナプスを繋げ続ける作業」に例えてその重要性を説くとともに、先日出店した「文学フリマ」での成果についても報告。来場者数に対する販売比率(2万人弱の来場に対し11冊販売)を分析し、自作のシールが1枚売れたことへの喜びを語っています。さらに、映画『プレデター:バッドランド』の感想では、「半分このアンドロイド」や「西遊記的な旅要素」など、悲しさのないエンターテインメントとしての魅力を熱弁しています。 毎度お馴染み、流浪の番組『今日の士郎』では、アニメ版『美味しんぼ』の第9話(単行本第9巻)にあたる「舌の記憶」をあらい視点で考察します。ブロイラーの正体、つきじ 治作、忍者ハットリくんへと話題が発展していきます。一方で、山岡が急に栗田家の家庭の事情に深く踏み込む「詰め将棋感」や、知らない家にお邪魔してしまったような「気まずい距離感」についても鋭くツッコミを入れています。 エンディングでは、物語に登場しない「栗田家の祖父」の正体について、想像を膨らませます。 ここで、告知です。銀河
『五丁目ラジオ 第131回』は、新井さんが、今年から個人的な米作りを始めたというお話からスタート。実家の田んぼで、宇都宮大学が開発した特殊な米を育てている。そして、目指すのは、通販ではなくイベントでの対面販売。「生産者から消費者へ」をダイレクトに実現する試み、という感じでした。 コンセプトは「ステージでバイオリンを弾いていた人が売るお米」。「今日、ステージの上でバイオリン 弾いてた人が米を育てました」っていう、その意外性が面白いかも、というお話をしています。 あらいごうゼミは、毎度長考を重ねる上妻ターンです。ヘーゲルが語る、絵画の歴史的発展段階についてのお話を延々としています。要は、ヘーゲルによれば、絵画の発展には大きく分けて2つの段階があって。それは、神や宗教といった「型」から、人間の内面や日常を描く「個性」への移行の物語ってわけなんだそうです。ビザンチンの宗教画は、悲惨さ、痛々しさを強調する表現で、ちょっと古い。ミイラみたいな感じ。でもね、イタリアの宗教画は、死んでもなお威厳を失わず、肉体の屈服よりも精神が勝利している様を描いてるってわけです。で、ルネサンス期になると、ウゴウゴルーガ的な「おきらくごくらく」に達すると、割と楽しそうなことを言っています。白眉です。 そして、ここでちゃんと告知も入れておきます。 エンディングでは、家に飾るならどんな絵がいいかっていうお話も。結構面白